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父親の昔のファッション レベルが高かった
現在90歳近い私の父親は昔、小中学校の音楽の教師をしておりました。なかでも吹奏楽のクラブ活動には熱心でありまして、上記の写真は当時の指揮をする父親です。と、ここまでは私の知っていた父親ですが、先日久々に実家を訪れた際に廃棄する予定の昔の写真を大量に発見しました。
それらを何気なく見ていたのですが、よく見るとスーツのサイズが合っている上に同じカジュアルスタイルの写真が無いことに気が付きました。それを母親に尋ねたところ、父親は着道楽であったことが判明しました。ちなみに私はそれを今まで知りませんでした。
例えば父親のスーツの多くはオーダーメイドとのことでした。私が幼少の頃に実家の玄関に綺麗に磨かれた革靴が10足以上並べられているのは記憶していましたが、そこまで服が好きであったとは予想をしていませんでした。
参考までに実家は群馬県に位置し、東京とは違ってファッションの情報は少なかったはずです。加えて私はファッション雑誌を家で見かけた記憶が無いので、恐らくそれらの情報は仕立て屋さんなどから得ていたと思われます。
このスーツは母親が「こんなシルクのスーツを作って何処へ行くの?」と文句を言っていたので記憶に残っています。さらにホワイト タキシードまで作り、それは今でもタンスの肥やしとして現存しています。
当時の日本では、男性が旅行をする際にはスーツを着用していたような記憶があります。少なくとも現在とは違い、スーツはプライベートの外出着であったという認識に間違いは無いと思われます。
上記は学校行事の引率と思われますが、今で言うコーチジャケット・黒パンツ・白スニーカーに加えてトートバッグのコーディネートです。これが約40年前のファッションとは思えないレベルの高さであります。
洋服に飽き足らずに和服にまで手を出していたようです。和服に関しては、祖父が作ったものなどを継承していたようです。この和服も何となく記憶に残っており、下駄や雪駄なども玄関の靴箱で見かけたことがあります。
今でもあまり見かけない色の組み合わせのジャケパン スタイルですが、ジャケットとパンツはウール素材と思われます。メガネも異なる数種類を着用しており、サーモント風のフレームやメタル フレームなどに加え色付きレンズも好んでいたようです。
そして私が父親の影響を受けていているかと言えば、音楽は別としてファッションに関しては疑問でございます。とは言ってもファッションの細かい部分までこだわる性格は父親譲りかもしれません。
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経歴:FerrariやRolls-Royceなどの高級輸入車の整備解説書・取扱説明書の翻訳者を経て、 政治家・芸能人・弁護士などのパーソナル スタイリングを担当。1966年生まれ。【言語:TOEIC840・初級イタリア語】
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